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午後を使ってなんとか演習を終わらせまして、今何をしようかうはうはしているところです。一週間あいた。なにしよう!とりあえずお絵かきと漫画をガッツリネットに載せよう!うん。楽しみにしてて!
久々にお絵かきしたいなぁ。 先生描きたいなー!そう、先生描きたいよね!ね!私!? 絵日記機能、マウスだと絵がカタカタになるのでやりません。文章でお楽しみ下さい。 今日はちょっと真面目な話でもしとく?しとこうか。 皆さん文系ですか?理系ですか? 多分創作やってるような人だと文系の方の方が多いのかな。まぁその辺は人によりけりですが。 今日の授業で文学とはなんぞやという話になりましてね。 文学とは、「想像力」なんだそうです。 人間は曖昧で常に感情を伴って動いていくもの。その「生きるプロセス」「言葉に出来ない今」を文章や人物から感じ取って、想像していく、それが文学なのだそうです。 同じ文系でも史学は違う。歴史は人の過去、データなのです。そこから事実を読み取っていくのが史学。つまり、史学者が見るのはその時代の人物の動き、文学者が見るのはその時代に生きていた人物個人が何を思いどう感じて生きていたのか。なのです。 ということは、文学が好きな人というのは実は人間が好きな人なのかもしれません。言葉や数値で線引きできない曖昧で微妙なラインを辿っていくことに楽しみを感じているのかも。だから感情的だったりする人が多いんでしょうか。文学少女と呼ばれる部類の人が内向的かと思いきや実は人間観察バッチリできてるのもそういうのだったりするのかもしれません。 そして、なんでも数値化することに生き甲斐を感じる数字人間…広くいえば理系の方々、が国語を好きになれないのはそういう理由なのでしょう。多分理系というより数学人間だと思うのですが。 彼らにすると「感じる事なんて人それぞれなんだからそんなの俺が解るわけないじゃん」らしいです。小説を読んでも「なんでここからこうなるの?」と聞かれて閉口したことがあります。 私は世の中数値じゃない・科学で証明できないことは沢山あると思っている人間なので、寧ろ彼らの思考回路が読めなくてごめんなさいなんですが、文学が価値のないことだという考え方は間違っていると断言します。 文学→他人の考えを感じ取ること、だとすれば、これって社会に出るときに必ず必要な能力だと思いませんか? 寧ろ生きるのに必要ですよね?それ、出来ない人間ってどういう人間になるかご存じですか? KYですよ。 巷で流行りの空気が読めない人。これ、明らかに他人の感情やその場の「言葉に出来ない雰囲気」が解らないって事でしょう?この「空気が読めない」って単語、流行ったの最近ですよね?少なくとも頻繁に耳にするようになったのは2007年後半ですよ。そして現在叫ばれる「本を読まない人の増加」「国語力の低下」「国語が嫌いな生徒の増加」、これ、繋がりがあるよ!と思うのは私だけでしょうか。 低下しているのは日本語を操る力だけじゃない。他人を感じる力が低下しているんだ、私はそう思います。目の前で見せられる美しい映像も漫画も映画もドラマも貴重なものかもしれないけれど、見せられただけで納得してちゃいけないんですよ。その映像の奥にある人々の心を想像しなきゃ、意味がない。いくら漫画が文化だといわれても、ただ絵を見てセリフ読んでるだけじゃやっぱりそれは言葉の無駄遣いで終わってしまうのではないでしょうか。 となると、この問題、「核家族・一人っ子の増加」「コミュニケーションの減少」にも繋がっているのかもしれません。 なんという魔の大車輪。さて、どこからストップかけて逆回しをすればいい? PR ◎Comment Comment Write |
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